毎月発行 禅源寺通信

No.11

衆生本来仏なり 水と氷の如くにて

衆生本来仏なり 水と氷の如くにて

(みんなそのままで ほとけさまなんだよ 水と氷の関係と同じで)

水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし

(水がなければ氷ができないようにみんなのほかに ほとけさまはないんだ)

お月参りの時にお唱えしている坐禅和讃の一文です。

先日、日本一の山、富士山を見てきました。
十国峠から見た、富士山の雄大さに圧倒されながら、私は、この一文をつぶやいていました。この、坐禅和讃は白隠禅師というえらいお坊さんが作られた和讃です。
「白隠さん」の愛称で親しまれているこのお坊さんは、駿河国、今の静岡県沼津市の出身です。小さい頃からあの富士山を見て育ったらあの和讃を思うのも、
さもありなんと、妙に、納得してしまいました。今年は、白隠禅師の二五〇年遠忌にあたります。
遠忌とは、没後二五〇年ということ、一周忌三回忌と回忌を経ての二五〇年忌ということです。指で数えられる回忌の法要さえしないこともある現代で、これは、すごいことです。
それだけ立派なお坊さんということでしょう。白隠さんは、明快に私たちは、
そのままでほとけさまなんだと言い切っています。
この和讃を唱えると、今のままの自分に自信が持てるようになります。二千六百年前にお悟りを開かれたお釈迦様も、言われていることでもあるのです。
この機会に坐禅和讃を唱え、ほとけである自分を感じてみてください。