寛永11(1634)年7月、
三代将軍徳川家光の上洛時に旅宿となった際、
寺内で不快(おこり)が治癒したことを喜び、
表道具に御紋をつけることが許されました。
以来、本堂大屋根の瓦をはじめ随所に「葵」が
用いられています。
八代虎岩和尚の隠居後、しばらく無住が続いた後、
九代満源和尚が美濃妻木の崇禅寺から伝法を受け、
寛文6(1666)年に本堂を再建。
延宝7(1679)年に十一面観音を祀って本尊とし、
再興を果たしました。
阿弥陀如来座像
(愛知県指定文化財)
- 桧材、寄木造
- 彫眼
- 像高137cm
鎌倉初期の作とされる半丈六(立像で約2.4m)の好例。
作者は慶派の作風を学んだ仏師と類推されます。
螺髪(らほつ)の粒はやや大きめ。
両眼の開きが強く、切れ上がった男性的なまなじりが特徴です。
絹本著色毘沙門天像
(稲沢市指定文化財)
左足で夜叉を踏みつけ、
右足を上げた一面十臂の像が描かれています。
脇侍として従えているのは吉祥天と善賦師童子。
腕前で如来拳印を結び、右手には刃、輪宝、矢、宝棒、
左手には宝塔、弓、索、童子の髪を持つ、
室町時代の珍しい画像です。
釈迦如来座像
(稲沢市指定文化財)
- 桧材、寄木造
- 玉眼
- 像高69.7cm
鎌倉後期につくられた如来像。
髪が盛り上がり、重厚な体貌が印象的です。
衣丈の彫り口が巧みで大きく、
両膝の張りにも安定感があります。
勅使門
(稲沢市指定文化財)
寛永年間(1624〜45年)に建立された
一間(約182cm)幅の薬医門。屋根は切妻造でこけら葺。
寄進者は稲葉村本陣の吉田又吉と伝えられています。
阿弥陀如来像
(稲沢市指定文化財)
- 桧材、寄木造
- 彫眼
- 像高57.5cm
細身でしまりがある姿と、
整った衣紋が美しい平安期の如来像。
全体的にバランスが良く、
地方色が現れた端正な印象が特徴です。
禅源寺がある美濃路稲葉宿は、使節や要人の休憩所や旅宿になっていました。当寺に伝わる板額は、天和2(1682)年に来日した朝鮮通信使随員の洪世泰が書いたもの。
また、享保3(1718)年には琉球の越来王子が十二代法厳和尚に答礼として贈った詩も残されています。
往来が盛んだった折には、止宿中に命を落とした人々も多く、寺内には琉球王子使節随員や薩摩隼人の墓が残されています。
明治2(1869)年12月、凶作が発端となった農民騒動が、禅源寺の鐘を合図に起こりました。
当寺がある稲葉や近郊の中島地方を巻き込んだ騒動は4日間に及び、3万人もの人々が参加したと言われています。
突き鳴らされた鐘はひびが入ったため、「われ鐘」とも呼ばれましたが、戦中に供出されて現在は新しい鐘となっています。